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山形地方裁判所 昭和32年(わ)232号 判決

被告人 大場信夫

大一四・一・一生 無職

主文

被告人を無期懲役に処する。

押収に係る手拭切端二片(証第二号の一)、同手拭切端一片(証第二号の二)、及び同手拭一本(証第三号)はいずれもこれを没収する。

押収に係る現金二万二千円(千円紙幣二十二枚、証第七号)、同現金三十万円(千円紙幣三百枚、証第九号)、同現金二万円(千円紙幣二十枚、証第十七号)、及び同石山松雄振出山形トヨタ自動車株式会社宛金額三万円の約束手形一通(証第十一号)、並びに同革製手提鞄一個(証第十号)はいずれもこれを被害者日本勧業銀行山形支店に還付する。

理由

(被告人の経歴及び性格)

被告人は山形県西村山郡寒河江町大字寒河江(現寒河江市)において山形県蚕糸取締所に勤務していた父善吉の三男に生れ、二歳の頃父が住屋を新築したため肩書本籍地に転居し、その後山形市立鈴川尋常高等小学校に入学、幼少の頃は神経質でむしろひ弱い感じのする性格であつたが、被告人が九歳の頃父に死別し爾来母カヲルの手一つで養育されてきたことと、母カヲルは亡夫の恩給と裁縫による収入でようやく一家を支えてきたという家庭内の事情などから、被告人は次第に自己毀損体験に敏感に激亢する性癖をあらわし始め、同小学校高等科一年を修了後山形県立山形中学校(現山形東高等学校)に進学し、ようやく生長するに及んで身体も強健になると共に、被告人の弟がいじめられたりなどすると夢中で相手方に手向つたり、また公憤を発しやすく、ストライキを主導しそれを裏切つた生徒を殴打したため一週間の停学処分を受けたこともあり、自我が強く、過感で激亢しやすい、不快体験によつて容易に感情爆発を呈する性癖が次第に固定化される様相を呈した。昭和十八年三月同中学校を卒業し次いで秋田鉱山専門学校採油科(現秋田大学鉱山学科)に入学して南方開発事業に従事したい希望であつたが、同校三年在学中に終戦に遭いその意図が頓挫してしまつたことや、当時被告人は石原莞爾の思想に私淑しその学歴を蔑視する学閥打破の主張に共鳴していたことと相俟つて昭和二十年九月卒業を半年前にひかえて同校を中退し、直ちに石原莞爾の主宰する東亜連盟に加入して社会改革運動に投じ、東亜連盟山形支部の専従普及員となつた。その後、昭和二十一年二月に到り東亜連盟が解散を命ぜられたため、一時、日本自給肥料普及会山形支部の専任普及員となつていたが、昭和二十二年十月頃から北海道に渡り道路工事夫や伐採夫等をやり、昭和二十四年四月頃から北海道留萠郡にある浅野炭山株式会社に採炭夫として入社し同社内の労働組合運動に加わり専任の組合教宣部長や組合執行委員長等となつて活動していたところ、昭和二十六年八月東亜連盟運動禁止が解除されたため再び山形市に帰住し、東亜連盟の同志を基盤として新しく結成された協和党に加盟し、同市内に設けられた協和党中央事務所の専従員となり、翌昭和二十七年二月には協和党中央委員となつて党内枢要の地位を占め、昭和二十八年九月に協和党の同志である遠藤キミと結婚し、その間に一女を挙げるに至つたが、昭和三十年四月施行された山形市議会議員選挙に協和党を地盤として立候補し落選したため、その頃より次第に党活動から遠のき同党中央事務所の専従員も辞めてしまい、同年十月頃から山形市大郷授産所や山辺町の大江方から仕入れる毛糸製品を妻と二人で山形市内の銀行、官庁等を廻つて販売して生活していたものである。

(犯罪事実)

被告人は山形市大郷授産所や山辺町の大江方から売上精算の方法で毛糸製品を仕入れいわゆる委託販売の形式で山形市内の銀行、官庁等を廻つて販売していたが、このような方法では利潤が少いところから仕入先である大江方の助言もあつて、昭和三十二年六月頃から来るべき秋に始まる新販売期に備え相当額の運転資金を準備し高級製品を多量に現金仕入して収益を挙げたいと計画し、その金策に腐心しているうち、日本勧業銀行山形支店の小使をしている大場正雄(当三十九年)から金を都合できる人を知つているような話を聞いたことがあることを想起し、同人とは小学校時代同じ部落内に住んでいたことがあつて旧くからの顔知りであり毛糸製品の販売のため同銀行に出入しているうち打とけた話合いまでする間柄であつたので、同年七月二十五日頃から二回許り同人を同銀行に尋ねたり道路で出会つた際附近の飲食店に案内したりして同月中に二、三十万円の運転資金を斡旋して貰い度い旨依頼していたところ、同人が同月三十一日午後三時三十分頃山形市香澄町字八幡石九十一番地の六の当時の被告人方を訪れ「金策ができて金を貸す人と会つて貰うから来てくれ」と申向けてきた。そこで被告人は直ちに同人と同道して同人の案内に従い同市六日町七百八番地天然寺境内に赴き、同寺院の北脇を通り墓地内の小径を経て同寺院本堂裏の境内東南方角附近の叢に至り、同所の東から二本目の栗の木の根元に被告人が同人の右脇に並んで北向きに腰を下し雑談しながら貸主の来るのを待ち受けていたが、容易に貸主が姿を現わさないのを不審に思つた被告人が同人に尋ねたところ、同人は来ないなら来ないで貸主に代つて話を進めるといい「仮に二十万円の現金が欲しい場合は貸金の額面を三十万円として十万円の利息を天引にし期間は一応六ヶ月とするが短かければ短いほどよい」旨、被告人には思いもよらない高利の条件を要求してきたので、被告人は貸主に直接会つて利息をまけて貰うよう交渉したいと申入れたところ、同人は被告人を天然寺境内に案内してきたときとはとつて変つて被告人が貸主と直接に交渉することを嫌うような態度に出たため、被告人は同人の言動に疑惑を持ち同人が貸主との間に入つて利鞘をとるのではないかと考えそれを詰問すると、同人は興奮の態で極力それを否定し却つて「そんな甘い考えやそんな調子では金など借りられない、商売で相当儲けているとの話しだ少し位高い利息でも借りられるだろう」等とむしろ被告人の態度を非難するような言辞を弄したので、被告人は憤慨の余り「本当のことを言え」といいながら同人の体を手で掴んでゆさぶりながら同人と言い争つているうち、同人が急に立ち上り被告人の掴んでいる手を振り切つてもと来た墓地内の小径の方に逃げようとするのを見て被告人も素早く立ち上り同人を背後から掴んで引き戻し、やにわに左手拳で同人の鳩尾部を一撃した。そのため同人はそのとき手にしていた日本勧業銀行山形支店備付の集金用革製手提鞄(証第十号)を取り落してその場に仰向けに倒れたが、被告人はその一撃でもろくも倒れた同人の姿をみて事の余りに意外な結果に驚き、このまま放置すれば同人は死ぬかも知れないと考え、同人は集金の途中でもあり相当額の現金を所持しているであろうから、かくなる上は一思いに同人を殺害し、所持金を奪つて逃走しようと突嗟に決意し、同日午後四時頃、同所に仰向けに倒れている同人の頸部に所携の日本手拭一本(証第二号の一、及び二)を数回捻つて巻きつけ一重に結びその両端を持ち強く絞めつけたところ、力余つて右手拭の一端が千切れたため、更に所携の日本手拭一本(証第三号)を同人の頸部に巻きつけ一重に結びその両端を持ち強く絞めつけ同人を窒息に陥らしめてその反抗を抑圧したうえ、同人が被告人との右格斗の際そばに取り落した右集金用革製手提鞄に在中し同人が所持していた、日本勧業銀行山形支店のため集金した現金百六十七万一千百十一円(証第七号、証第九号、証第十七号はいずれもその一部である)、及び同銀行所有の芳賀セメント工業株式会社振出山形税務署裏書金額五千円の小切手一通、並びに石山松雄振出山形トヨタ自動車株式会社宛金額三万円の約束手形一通(証第十一号)を右手提鞄と共に強取したが、その後間もなく同所附近において同人を絞頸による窒息のため死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人及び弁護人等の主張に対する判断)

被告人及び弁護人等は、被告人は当初から強盗の意図をもつて被害者を殺害したものではないから強盗殺人罪を構成しないと主張する。

しかしながら、前掲証拠を綜合すると、被告人は被害者が被告人からの鳩尾部の一撃によつて倒れたのをみて、同人は集金の途中でもあり相当額の現金を所持しているであろうから同人を殺害して所持金を奪つて逃走しようと突嗟に決意したものであると認められること、判示認定のとおりであるが、更に附言すると、

(一)  被告人は司法警察員、及び検察官の取調に対し、一貫して、強盗の意図をもつて被害者を殺害した旨を供述している。即ち司法警察員に対する昭和三十二年十二月四日附供述調書には「正雄がその場に倒れて動かなくなつたので、私としては正雄とは面識のある間柄でもあり、このままにして帰れば、若し後で生き返つたりすると私のやつたことがすぐ判るし、また正雄が持つている手提鞄の中には集金して来た金も入つているだろうし、またその外に二、三十万円の金を持つているだろうから、いつそのことその金を奪つて正雄を完全に殺してやろうとその時に殺すつもりになつた」旨の供述記載があり、同月十二日附供述調書には「正雄がその場に倒れたので、私はこれは困つたことになつたと思いその時身体中ふるえが来たようにブルブルして来た。私としては正雄とは面識のある間柄でもありこのままにして帰れば後で正雄が生き返つたりした場合私のことがすぐ判るし、そうすれば警察にすぐ引ぱられると思い、正雄が持つて来た手提鞄には月末でもあるし二、三十万円とその外集金して来た金が入つていると思つたので、正雄を完全に殺してその金を奪つてやろうと思つた」旨の供述記載があり、また、検察官に対する同月十三日附供述調書には「正雄は急に私の掴んでいる手を振り切つて西の方に逃げて行こうとするので、私はこのとき突嗟に正雄は集金鞄を持つているので金も集めて来ているだろうし、また自分の金を私に貸す様子であつたから二、三十万円の金を準備してきているかも知れないと思い、正雄を殺して金を奪うと決心し逃げようとする正雄を引き戻し空手で正雄の鳩尾を一撃した」旨の供述記載があり、これは犯意発生の時期につき司法警察員に対する供述のそれより一瞬早かつたとするものであるが、同月二十五日附供述調書には、この点につき司法警察員に対すると同様に「私は倒れた正雄の姿をみて、その日は集金の帰りで金を持つているだろうし、殺して金を持つて逃げようと考え自分のズボンのバンドにはさんであつた手拭を手に取り倒れている正雄の頸に巻ききつく絞めた」旨の供述記載がある。

(二)  被告人の右自白は左記諸点と対比し信憑力のあるものと考えられる。

即ち、

(イ)  被害者大場正雄は昭和二十二年三月一日以降日本勧業銀行山形支店に小使として勤務し、市内の金融機関で組織している手形交換所に加盟していない金融機関宛の手形類の取立業務を担当し、隔日一回集金に廻つており、本件犯行当日も同銀行備付集金用革製手提鞄一個(証第十号)を持参し、午後三時頃から殖産相互銀行七日町支店、山形庶民信用組合、山形相互銀行南支店、殖産相互銀行本店から判示の現金を集金して所持していた事実(証人庄司福雄、同佐藤正子、同早坂尚子、同安斎久男、同富塚吉三郎の各証言参照)。

(ロ)  被害者は右集金の途中被告人方に立寄つたと認められるのであるが、被告人は、その際、被害者が右鞄を所持しているのを目撃している事実(被告人の司法警察員、及び検察官に対する前掲各供述調書参照)。

(ハ)  被告人は被害者の職務内容を相当程度知つていたものと推認される事実がある。即ち、被告人は判示のごとく被害者とは小学校以来の顔知りであり毛糸製品の販売のため同銀行に出入しているうち打とけた話合いまでする間柄であつた事実、及び被告人が本件犯行数日前である昭和三十二年七月二十五日午後五時頃、被害者を同銀行に訪ねて金策の斡旋方を依頼した際、同銀行通用門附近で被害者から「時間過ぎだが集金するところがあるので一寸待つていてくれ」と申し向けられている事実(証人庄司福雄の証言、推名林三郎の検察官に対する供述調書、被告人の司法警察員、及び検察官に対する前掲各供述調書参照)。

(ニ)  被告人は所携の手拭二本で被害者の頸を絞めて窒息に至らしめた後、第一着手として被告人は「正雄が持つて来た二、三十万円の金を取つてやろうと思つて正雄のズボンのポケツト等を探したのであるが、金はポケツトに入つていなかつた。私が家の前でくれた白毛糸の手袋がポケツトから出てきたのでそれを取り出してその場に置いたように記憶している」旨を供述しており(被告人の司法警察員に対する昭和三十二年十二月四日附供述調書)、しかも右供述にいう白毛糸の手袋が該供述の場所に存在し押収されている事実(証第一号、及び司法巡査作成の昭和三十二年七月三十一日附捜査報告書、司法警察員作成の検証調書、検察官作成の実況見分調書、大場キミの検察官に対する昭和三十二年十二月十七日附供述調書参照)。

(ホ)  次いで被告人は被害者の体を同所から東南方の叢の中に引きずり込んで一応犯跡を隠蔽してはいるが、犯行に供した判示手拭二本、右白毛糸手袋一双、及び被害者が乗つてきた自転車一台等有力な証拠資料となり得る種々の物件を現場に残留したまま、被害者がさきに倒れた附近に落ちていた判示金品在中の手提鞄だけを拾い上げ、それを持つて逃走している事実(被告人の司法警察員、及び検察官に対する前掲各供述調書、及び司法警察員作成の実況見分調書、司法巡査作成の昭和三十二年七月三十一日附捜査報告書、並びに証第一号、証第二号の一、二、証第三号、証第四号参照)。これらの諸点を綜合すると、被告人の前記自白は信憑力ありと認めるに足りる。

(三)  被告人の右自白に反して、被告人の当公廷における「被告人が犯行現場から右手提鞄を持ち出したのは犯罪現場に証拠を残さないとする配慮から出でたものであり、右手提鞄を持ち出し山形大学裏の畑地に来てその内容を検し大金が入つているのをみて初めてその金品を不法に領得しようという考えが起きた」旨の供述は、右列挙の諸点と対比して不自然であり、真実を伝えたものとは認め難い。

次に、弁護人等は、被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたからその刑は減軽せらるべきであると主張する。

しかしながら、前掲各証拠によつて認められる被告人の経歴、性行、及び本件犯罪の態様、犯行後の挙動、並びに被告人の当公廷における供述等一切の事情を考慮しても、未だ被告人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたとは認められない。尤も被告人は、判示にも摘示し、鑑定人竹山恒寿の鑑定書にも記載せられているごとく、分裂性傾向を持つた爆発性精神病質人であり、自我が強く過感で激亢しやすく、不快体験によつて容易に感情爆発を呈する性癖を保有しているものと認められるけれども、被告人が右のごとき性癖を有しているという事実は被告人のなした本件犯罪行為を理解する資料とはなり得ても、それだからといつて右の事実をとつてもつて直ちに被告人の刑事責任能力に影響を及ぼすべき精神障碍であると解することはできないのであつて、結局、鑑定人竹山恒寿の鑑定の結果による所見と同一に帰する次第である。鑑定人石橋俊実の鑑定書には右と異り、その一部において弁護人等の主張を肯定するかのごとき記載があるけれども、同鑑定人のこの点に関する見解には左袒することができない。

(法令の適用)

法律に照すと、被告人の判示所為は刑法第二百四十条後段に該当するところ、判示のごとき犯行の動機態容、殊に本件は白昼山形市内の中心部において敢行せられた犯罪で強取した金額も多額に上り、世人に深刻な衝激を与えた点や、被告人の犯行後の態度、並びに被告人の経歴、性格、家族関係等諸般の情況に鑑み、所定刑中無期懲役刑を選択し、被告人を無期懲役に処し、押収に係る主文第二項掲記の物件は本件犯行の用に供した被告人の所有物であるから同法第十九条第一項第二号、第二項によりいずれもこれを没収し、押収に係る主文第三項掲記の物件は判示犯行によつて得た贓物で被害者たる日本勧業銀行山形支店に還付すべき理由が明らかであるから刑事訴訟法第三百四十七条第一項により被害者たる日本勧業銀行山形支店に還付し、訴訟費用については被告人が貧困のためこれを納付できないものと認め、同法第百八十一条第一項但書を適用し被告人に対しその全部を負担せしめないことにする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 蓮見重治 高橋太郎 武田平次郎)

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